私の趣味

私はスポーツが大好きです。学生時代は野球部に所属、卒業後はジョギング、登山なども楽しんでいます。時々風景や自然の写真も撮って楽しんでいます。

平成29年1月15日(日)、第12回ふじみ野市新春ロードレースに参加しました。好天に恵まれました。昨年8月に網膜剥離の手術を受け、しばらく運動は控えていました。振動はよくないといわれ、ウォーキングしかできず、年が明けてようやく走るくらいはいいでしょうと許可が出て、振動の少ない走りに走り方を変えて臨みました。タイムは22:16。8月の手術直前に21:46で走っていましたので、30秒落としてしまいました。この30秒は大きいです。来月の駅伝大会に向けてひと頑張りします。14位ですがこのカテゴリーの参加者は23名です。



普段地域の仕事でお世話になっているケアマネージャーさんや他の病院のスタッフの方にも会い、親睦を深めることもできました。



平成28年6月25日(土)、第43回リスタートタイムトライアルin夢の島ナイターに参加しました。あまり暑くない、ちょうどいい天候でした。風はありましたがトラックなので、追い風も向かい風も均等に受けて走れました。タイムは22:01。まだまだですね。
この大会には昨年の第一回さいたま国際マラソンで日本人女子一位だった吉田香織選手がゲストランナーでいらしていて、サインを頂き、さらに、走りながらもっと腕を前後に振るようにとアドバイスも頂きました。吉田選手の走りを目の前で見て感動するとともに、あの研ぎ澄まされた体を作るためにどれほどの練習をしているのだろうかと驚きもしました。




平成27年11月15日(日)、第1回さいたま国際マラソンに参加しました。初のフルマラソン挑戦です。スタートの時こそ小雨が降っていましたが、雨も上がり、ゴールする頃には晴れ間も出ていました。女子のリオオリンピック選考レースを兼ねた国際マラソンで、超一流ランナーと同じコース走るのは気持ちのいいものです。制限時間4時間という厳しいレースでしたが、何とか走りきりました。
フルマラソンの準備は大変でした。何といっても初めてのチャレンジでしたので、コーチについて練習したいくらいでしたが、そういう訳にもいきませんので、4ヶ月間、Nike+というアプリの指示に従ってトレーニングしました。ノルマの8割くらいしかこなせませんでしたが、大変厳しいトレーニングで、私はそのアプリのコーチをエディー(ジョーンズ)と呼んでいました。
アップダウンの多いタフなコースでしたが、キロ5:30ペースを維持して走りきりました。

 
スタート前、右から立麻医院 立麻典子先生、いままき内科 今牧啓二先生、私、上福岡総合病院 箱田有亮先生です。

 グロスタイム3:51:54でした


ゴールシーン。最後の数100mを競り合ったランナーの方と握手を交わしているところ。テレビ埼玉の画面を友人が撮影してくれました。


平成27年7月26日(日)、第3回オトナのタイムトライアルに参加しました。大蔵運動公園の真新しい400mトラックを使った5kmレースです。猛暑の中、タイムは22:45。このレースにはペースメーカーがついてくれます。大学生の陸上部の選手たちで、中には箱根駅伝に出た選手もいました。目標タイムだった21:30のペースメーカーの方がいらしたので、その方に着いていったのですが、8周で着いていけなくなりました。スタミナ不足、レース運びなど課題が残りました。
  
(スタート前、真ん中に写っているのが私)   (終盤、バテているところです)


平成27年3月8日(日)、第39回 日高かわせみマラソンに参加しました。アップダウンのある10kmを走りました。タイムは43:41。10kmのレースにはあまり出ていませんでしたが、出るなら44分を切りたいと思っていましたので、ちょっと嬉しかったです。朝のうちは小雨が降っていて、始まったら雨も止み、気温も上がらず花粉も飛んでいないという絶好の条件でした。


平成27年2月22日(日)、第46回入間東部地区駅伝競走大会に、「東入間医師会」の一員として参加しました。私は1区6.3kmの重責を任され、異様なプレッシャーの中何とか走りきりました。2区以下のみんなが速いので、できる限り前に食らいついていけばあとは何とかしてくれると、仲間を信じて走りました。個人で参加するレースとはまた違ったプレッシャーと連帯感を感じました。「東入間医師会」の参加メンバーは、2区今牧啓二先生(いままき内科)、3区佐藤俊博先生(富士見クリニック)、4区根本光洋先生(根本外科整形外科)、5区石川亮先生(石川医院)、サブ蛯原仁美さん(上福岡総合病院PT)、中野和俊先生(なかの小児科クリニック)でした。
私のタイムは26:32。4:13/kmペースでした。新春ロードレースの時より少し速くなりましたが、走った人たちの中では真ん中より下のレベルです。もう少し頑張らないと・・・
写真は翌日の読売新聞です。矢印が私です。わかります?



平成27年1月18日(日)、第10回ふじみ野市新春ロードレース大会に出ました。去年まで5kmだったコースは6kmに延び、アップダウンがある難コースがさらに厳しくなりました。しかし、ラスト200mはゴールも正面に見え、声援も多く、気持ちよくゴールすることができました。結果は26分23秒でした。前半はまずまずの調子だったのですが、後半完全に失速しました。夏から秋にかけて走り込みが足りなかったかな、と今さら思ってみても仕方がないですが、来月の駅伝大会に備えて鍛えないと・・・
年々大会が大きくなっていますが、アットホームでなおかつ真剣なレースの雰囲気を保っていて、体育協会始め、運営の皆様の努力には頭が下がります。


平成26年11月30日(日)、小江戸川越マラソンのハーフマラソンに出ました。レースは5kmか10kmしか走らないことにしていたのですが、医師会駅伝部の仲間に引っ張られて、ハーフに出ました。タイムは1時間44分33秒。100分切りはなりませんでした。最後まで競っていた相手にもラスト1kmで置いて行かれてしまいました。ちょっと悔しかったです。しかし、沿道の声援は力になりました。特に、鯨井中学校の生徒さんたちのハイタッチには大いに励まされました。有り難うございました。


平成26年10月11日(土)、外来が早く終わりましたので、午後から「東京10K秋大会」に参加してきました。荒川河川敷でペースメーカーの方もついてくれる本格的なレースでした。私の目標タイムは44分でしたが、練習不足だったのでそこまで狙わず、キロ4分30秒のペースメーカーについて行くことを目標にしました。7キロまでペースメーカーに食らいつき、そこから少し前に出て44分25秒でゴールしました。
ペースメーカーの方は、上り坂、下り坂では走り方の、そして終盤には前に出るタイミングまでアドバイスしてくれました。6キロ手前で前に出ようとしたら、まだ早いですよ、というアドバイスも頂き、この時期にしてはまずまずのタイム走ることができました。


平成26年2月23日(日)、第45回入間東部地区駅伝大会に東入間医師会チームとして参加しました。5区間21.2kmで競われました。私は2区4.3kmを走りました。タイムは17分44秒でした。1か月前の新春ロードレースの時よりちょっとタイムはよくなりました。やはりレースだということと、駅伝でたすきをつないでいるということから、普段の自分の力以上のものが出たと思います。

医師会チームは、1区箱田有亮先生(上福岡総合病院)、2区安藤聡一郎(安藤医院)、3区佐藤俊博先生(富士見クリニック)、4区石川亮先生(石川医院)、5区立麻典子先生(立麻医院)、サブ岸昌哉先生(岸内科クリニック)、今牧啓二先生(いままき内科クリニック)の7名で参加しました。壮年の部の13チーム中9位でした。
今年は医師会チームのTシャツも作りました。Tシャツの「東入間医師会」の文字に気づいた方から「お、医師会だってさ、がんばれ!」と声をかけて頂きました。応援ありがとうございました。



 平成26年1月19日、ふじみ野市新春ロードレース大会に参加しました。昨年は風邪のため参加できなかったのですが、2年前まではなかったICタグが導入されていました。タイムは自動計測されるのです。今までは記録員の方がストップウォッチを見ながらタイムを取ってくれて、記録証は手書きでした。参加人数も多くなるとやはりこういうものが重宝しますね。年々参加者も増えて役員の方たちも大変だと思いますが、感謝です。

タイムは21分30秒。後半タイムが落ちました。故障箇所もよくなってきましたし、練習すればもう少しは伸ばせそうな気がしますので、体をこわさないように気をつけながら練習したいと思います。


平成25年12月30日、ベジタブルマラソンin熊谷、5kmに参加しました。練習不足のツケは大きく、21分45秒と昨年の同じコースで走った記録より17秒遅くなりました。駅伝大会に出る医師会のチームもできて、練習のモチベーションも上がってきているので、左大腿部の故障を早く治して頑張りたいと思います。


平成25年10月27日、第36回毛呂山鎌北湖マラソンに参加しました。この写真の向こうに見える山の上まで上って下りてくるという高低差200mの10kmランです。8月に左大腿部を痛めてようやくまともに走り始めたところでしたのでタイムは51分20秒と、一昨年の記録を2分13秒も下回ってしまいました。やはり走り続けていないとダメですね。年明けのシーズンに向けてまた頑張ります。


平成25年7月21日、「オトナのタイムトライアル」5kmに参加しました。400mトラックを12.5周するという初めての経験でした。目標タイム別にグループ分けされていて、私は目標タイム23分のC組で走りました。ペースメーカーに大学の現役陸上部選手や箱根駅伝経験の選手が走ってくれて、大変刺激になりました。タイムは21分20秒でした。もう少し頑張りたいと思います。


平成25年2月24日、入間東部地区駅伝競走大会に「東入間医師会」チームの一員として参加。2区を走りました。壮年の部17チーム中12位。途中の繰り上げスタートの関門もクリアし、全員が完走し、たすきをつなぐことができました。今までは「駅伝」といえば、正月に応援するものでしたが、今回、医師会の仲間と参加し、駅伝は「仲間とつなぐもの」となりました。

医師会の参加メンバーは、1区:今牧啓二先生(富士見市、いままき内科医院)、2区:安藤聡一郎、3区:根本光洋先生(富士見市、根本外科整形外科、4区:石川亮先生(ふじみ野市、石川医院)、5区:岸昌哉先生(ふじみ野市、岸内科クリニック)、スーパーサブ:立麻典子先生(ふじみ野市、立麻医院)でした。

駅伝大会はコースも長く、参加チームも多く、2市1町の一大イベントでした。スタッフ、係員の皆さん有り難うございました。


平成25年1月20日、毎年出ているふじみ野市新春ロードレース大会の日でしたが、風邪気味のため参加は断念しました。自分で検査してみたら、インフルエンザではなかったのですが、全力で走ったら、さらにノドを痛めることになりそうでしたので、明日から仕事ができなくなってはいけないので、大事をとることにしました。毎年このロードレースでお会いする方もいて、再会と対決を楽しみにしていたのですが、残念です。体調管理も重要だなと、痛感しました。


平成25年1月2日、3日と2日続けて箱根駅伝の応援に行ってきました。一日目1区、2日目10区、芝公園の近くにできた順天堂応援スポットで応援しました。選手たちは一瞬のうちに通りすぎていきます。
 これは選手が通り過ぎた直後に横断歩道を渡りながら撮った、「選手目線の」絵です。場所は10区の増上寺手前です。選手たちはこの沿道の観衆の前を駆け抜けていきます。


 2012年12月30日、年内最後の走り納めということで、熊谷で開かれた第4回ベジタブルマラソンに参加しました。2012年は10月の鎌北湖マラソンは講演会のため出られず、ランフォーホープは主催者側が今年は中止ということで、レースに出ていませんでした。今回、5Kmに出場しました。タイムは年々落ちてきていますが、まだもう少し頑張りたいです。右写真はゲストの千葉真子さんです。


 2012年1月15日(日)、第7回ふじみ野市新春ロードレース大会(こちら)に参加しました。年々参加者が増えているようです。今までは1月に入ってから申し込んでも間に合ったのですが、今回は12月中に定員に達してしまったそうです。レベルも上がっているようです。今年から壮年2部(50歳以上)で出場。私のタイムは20分23秒、順位は11位(60人中)でした。20分台前半が目標でしたので、一応目標は達成しましたが、後半バテてしまい、反省点の残るレースでした。また来年頑張ります。


2011年10月23日(日)、第34回毛呂山鎌北湖マラソン10kmに参加しました。
昨年に引き続き、この「スーパーハード10K」に参加。昨年はあとわずかで50分を切れず、悔しい思いをしましたので。ちょっと走り込んで臨みました。今回は49分07秒という記録でした。50歳になって50分を切れて満足です。なかなか10kmを年齢以下のタイムでは走れなかったのですが、年をとったおかげでハードルが低くなり、念願がかないました。


2011年1月16日(日)、第6回ふじみ野市新春ロードレース大会に参加しました。少し風はありましたが、快晴の絶好のランニング日和でした。結果は、5kmを21分50秒という記録でした。昨秋からは結構走っていた割には納得のいかない記録にとどまりました。やはり、全体的に筋力が低下しているようです。もう一度鍛え直して、何とか20分台前半で競り合える体を取り戻したいと思うのでありました。それにしても、ランニングブームなのでしょうか、年々参加者も増えて、大会運営も大変になってきていると思いますが、関係者の皆様有り難うございます。記録もホームページにアップされるようになりましたし(こちら)、しかも、手入力でやっているのですからホント感謝です。


2010年10月24日(日)第33回毛呂山鎌北湖マラソン10kmに参加しました。
高低差200mのコースを、前半はひたすら上り、後半一気に駆け下りるというという、他にはない厳しいセッティングのレースです。「スーパーハード10km」とサブタイトルがつくのも頷けるレースでした。昨年一年間は座骨神経痛(梨状筋症候群)に悩まされ、回復して久々のレース参加でした。50歳になる前に50分切りができたらと思っていたのですが、残念ながら50分17秒と一歩及びませんでした。うーーん、悔しい・・・ 後半の下りで結構抜かれてしまっていたので、そのあたりに今後の課題がありそうです。
ゲストランナーは川嶋伸次さん(シドニー五輪マラソン日本代表、毛呂山町出身)でした。3kmレースでは、一位でゴール。子供相手でも手を抜かない走りはすばらしいと思いました。子供たちにとっては本物に触れるすばらしい機会となったことでしょう。10kmでは最後尾から出走され、「皆さん私に抜かれないように」とおっしゃっていましたが、私は2kmすぎであっという間に抜かれて、ついていくことはできませんでした。プロの走りは違いますね。
ところで、今回のレースには、いつもお世話になっている上福岡総合病院のスタッフの皆さん7名も参加されていて、スタートラインに並んだときに偶然出会いました。皆さん完走され、元気なところを見せてくれました。医療スタッフが元気というのはとってもいいことですね。


2009年1月18日(日)第4回ふじみ野市新春ロードレース大会、壮年A、5km部門に参加しました。参加者が増え、これまでのように「走れば入賞」、というようなことはなくなり、とても上位に入れなくなりましたが、タイムは20分59秒と久しぶりのレースにしては満足のいく結果でした。途中から私の後に付いてくるランナーの息づかいが聞こえ、苦しかったですが、抜かれないよう頑張りました。箱根駅伝の選手の気持ちがちょっとだけわかった気がしました。Nike+のインターバルトレーニングが効果があったようです。


2007年2月18日(日)東京マラソン2007に参加しました。といっても今回は出場の抽選にはずれ、ボランティアとして参加しました。京橋から日本橋の間で、応援、清掃の仕事をしました。ランナーの皆さんのマナーがよく、食べ残しのアンパンや水の入ったペットボトルを投げ捨てることなく、私たちに手渡してくれました。しかし、後半は食料がなくなってしまい、ちょっとかわいそうでした。翌日の新聞報道でもその点は指摘されていましたので、次回からは改善されることを期待したいです。雨の中走った皆さんお疲れ様でした。男性招待選手たちに混じって走っていた女子一般のゼッケンの方が目にとまりましたが、女子で優勝した新谷仁美選手と後でわかりました。初マラソンだったそうですが、男性ランナーに負けない力強い走りでした。今後に期待ですね。


2007年1月21日(日)第2回ふじみ野市新春ロードレース大会に参加しました。上福岡市と大井町が合併し、共同開催となった最初の大会です。コースは昨年と同じでしたが、参加者が今までの4倍くらいに増え、大変にぎやかな大会となりました。5km壮年男子一部に出場。秋から全く走れなかったため、とにかくイーブンペースでの完走を目指しました。23分11秒で、19人中16位でしたが楽しく走れました。応援して下さった皆様有り難うございました。

それから、今回はもう一つうれしいことがありました。このホームページを見て、このロードレース大会のことを知って、参加したという方がいらしたことです。意外なところで私のホームページが役に立っていたのですね。


2006年1月15日(日)第1回ふじみ野市新春ロードレース上福岡大会に参加しました。大井町と合併して最初の大会です。5km壮年Aの部に出場。20分50秒で、順位は2位でした。タイムは不本意でしたが、参加者が少なかった(同部門3名)ことと、昨年まで壮年A(40歳代)だった方たちが、今年は壮年B(50歳以上)で参加されていたり、ラッキーが重なり、念願のトロフィーを頂くことができました。今年は秋の走り込みが足りなかったと思いますので、来年こそは自己ベストを出せるようがんばります。大会運営に関わった皆様もお疲れ様でした。有り難うございました。


2005年6月12日(日)東京シティロードレースに参加しました。気温は29℃に上がり、風も弱く、暑さになれていない身体にはかなりこたえました。普段10kmのジョギングでは、途中で水を飲むことはないのですが、今回のレース中は給水所が早く来ないかなと思って走っていました。終わってみたら、翌日のニュースで、熱中症で21人が病院に運ばれたことを知りました。やはり、暑さには、慣れと水分補給が重要であることを痛感しました。給水所がなかったら私も危なかったかも・・・
今回は、目標タイム44分にははるか及ばず48分35秒のフィニッシュでした。高橋尚子選手も失速した、あの四谷の登り坂で私も失速し、後半は大幅に遅れてしまいました。

 

2005年1月23日(日)第38回上福岡市新春ロードレースに参加しました。雨のため1週間の順延となりましたが、気温4℃と低めながら、風もなく、よいジョギング日和になりました。

5km、壮年A部門に出場。今年は、秋からの走り込みの成果が出て、学生時代以来はじめて20分を切ることができました。ほぼ20年ぶり。しかし、上には上がいるもので順位は6人中4位。19分48秒でした。今まではゴール前で必ず誰か一人に抜かれていたのですが、今回はすぐ後ろをついてくる方の存在には気づいていましたが、最後まで前を走れました。いいタイムが出たのはその方のおかげです。がんばればまだ速くなれることもわかりました。
それにしても、大会運営には本当に多くの方が関わっていてくださっていて、頭が下がります。沿道の皆さんも応援有難うございました。

  

(写真左、小学4年生部門のスタート、写真右、私が頂いた賞状)


2004年4月18日(日)さくら草まつり’04に行ってきました。サクラソウは埼玉県の花、会場のサクラソウ自生地は国の特別天然記念物です。


2004年4月4日、幸手市さくらマラソン5kmに参加。全長1kmの権現堂堤の桜は満開でしたが、あいにくの雨。晴れていれば桜のトンネルはもっとすばらしかったと思います。タイムは21分02秒。なかなかコンスタントに20分台は出ないものです。ゴールしたあとの豚汁サービスは、冷えた身体が暖まってうれしかったですね

  

(左、スタート地点:桜が満開でした。右、ゴール地点、トラックに入ってから長く感じました。)


2004年1月18日(日)第37回上福岡市新春ロードレースは、急用のため欠場となってしまいました。天気もよかったので、残念です。来年は必ず走りたいと思います。


2003年4月2日、桜が満開となりました。

  


2003年1月19日、第36回上福岡市新春ロードレース、壮年A部門5 kmで4位入賞、といっても同部門の参加者は5人。タイムは去年より30秒以上縮まり、20分46秒。しかし、今年もトラックに入って壮年B部門の方に抜かれてしまいました。来年に向けての課題ができました。沿道の皆さん、主催者の皆さんありがとうございました。


2002年12月9日、大雪となりました。


2002年10月12日、上福岡市の花、コスモスが咲いていました。


2002年夏、北海道美瑛に行って来ました。ラベンダーはもう終わっていましたが、一部咲いている農園がありました。


2002年6月1日、上福岡市観光花畑の花が咲きそろいました。田植えの終わった田んぼに映る夕日もきれいでした。

2002年1月20日、第35回上福岡新春ロードレース大会、壮年男子A部門(5km)に出場しました。6位に入賞し、賞状をいただきました(同部門出場9人中)。最後の第2小学校校庭のトラックで抜かれてしまったのですが、6位まで入賞だったのでラッキーでした(タイムは21分28秒)。参加者が少ないとこういうこともありますね。沿道の皆さんご声援有り難うございました。役員の皆様お疲れさまでした。


2001年5月、我が家のしゃくなげが咲きました。


2001年、上福岡新春ロードレース5kmに参加予定でしたが、1月21日当日と予備日の28日のいずれも雪が降ってしまい、今年は大会が中止となってしまいました。幻のゼッケンとなりました。来年に期待・・・


順天堂といえば駅伝(少なくとも私の周りの人はそう言っています)ですが、順天堂伊豆長岡病院勤務時代には、伊豆長岡町駅伝大会に出場しました。第33回伊豆長岡町駅伝大会(2000年1月30日)に参加したときの写真です(中央、緑のジャンパーが私です)。結果は、総合12位(54チーム中)、一般部門4位(10チーム中)でした。箱根駅伝とのアベック優勝が夢でした。

バスケットもやりました。あまりうまくなれませんでしたが・・(この写真は私が撮ったので私は写っていません)


伊豆長岡病院勤務時代にお世話になったフジヤマ病院の屋上からとった富士山です。


ブダペストの英雄広場(飛行機雲も写っているのわかりますか)


私が出場した主なランニング大会

アメリカ留学中、コロラド州ボルダー(マラソンの高地トレーニングで有名な地)で行われた10km Runの大会。ロサ・モタ選手が招待されていました。
シアトルで行われたアメリカリウマチ学会での5km Run(学会が始まる前、早朝6時頃スタート)。年齢別部門(20歳代、当時私は29歳)で1位になってしまった。その当時コロラドで走っていたのが効いたようです。ホント、高地トレーニングは効きます。後半バテずに走れます。
メリーランド州で行われた5km Run。タイムは平凡ながら、ここでも賞品を頂いてしまいました。参加者の少ないレースに出るといいこともあります。
ワシントンDCで行われたLUPUS Foundation主催の5km Run。“Run for Lupus”は“全身性エリテマトーデスのために走ろう”の意味。
1996年10月13日に東京で行われたTerry Fox Run。がんに冒されながらも歩いて全米を横断し、人々に勇気を与えたFox青年にちなんで毎年行われているチャリティーラン。このときは有森祐子さんも出場していました。一応一緒に走ったことになります。当時のメモによると、スタートから300m地点で有森選手の背中が遠くなっていったと記してありました。
2002年3月17日、さいたま市誕生を記念して行われた埼玉シティーハーフマラソン。ゴールはワールドカップ会場の埼玉スタジアム2002でした。はじめてのハーフマラソンでしたが何とか完走できました。

学生時代の一コマ

(大学6年の最後の夏の大会、対慈恵医科大学戦で、レフト線ツーベースヒットを放つ。しかし次の最終打席では凡退し、試合は敗退。)

ホームへ