高齢者のメタボリック症候群と、糖尿病発症および心血管系疾患のリスク

今年から、特定健診、通称メタボリック健診が始まりました。当院のある埼玉県ふじみ野市でも7月から始まりました。この特定健診が従来の住民健診と違う点は、メタボリック症候群の人を見つけ、適切な指導を行い、脳血管障害や心筋梗塞などのいわゆる心血管系疾患になる人を減らそうというものです。国がそれほど力を入れる理由は、メタボリック症候群は、内臓脂肪の蓄積により、インスリン抵抗性が増し、高血圧や高脂血症、糖尿病などがなくても、それらと同程度あるいは、それ以上に心血管系疾患を併発する危険性が高いというデータに基づいています。そして、そのような患者さんが減れば、医療費が減らせるだろうという予想があり、そのような期待も込めて、今年から特定健診がスタートした訳です。

メタボリック症候群が心血管系疾患のリスクとなるということはよく言われていますが、今回発表された論文は、高齢者(論文では60歳以上を対象としています)ではそのような傾向があまり強くなかったいう結果で、たいへん興味深いものです。Lancet 2008年6月7日号 (vol 371, p1927- 1035)に掲載されました。

英国での調査で、英国ではメタボリック症候群の診断基準が日本とは異なりますが、傾向としては十分参考になるものと思います。

この論文では2つの疫学調査の結果を合わせて検討しています。一つの調査はPROSPER研究と名付けられたもので、70歳〜82歳の4,812人の男女を対象とし、3.2年間の観察を行っています。もう一つの調査は、BRHS研究と名付けられたもので、60〜79歳の男性2,737名を対象として7年間フォローしたものです。いずれの調査でも、対象者には、書面で、この健診結果やその後の病気などについては疫学調査に用いられるということについて、書面でインフォームドコンセントを得ています。(このことは後で述べることと関係します。)観察期間内に、PROSPER研究では772人に心血管系疾患が、287人に新たな糖尿病が発症していました。BEHS研究では440人に心血管系疾患が、105人に新たな糖尿病が発症していました。

メタボリック症候群の診断基準を満たした人とそうでない人とを比べると、糖尿病の新規発症については、メタボリック症候群の人の方が発症率は圧倒的に高く、相対危険で7.47でした。(両者にまったく差がなければ1.0になります。)しかし、心血管系疾患の発症の相対危険は、若干高かったものの、1.27とそれほど大きなものではありませんでした。

糖尿病発症リスクについては確かにメタボリック症候群に当てはまる人は注意が必要ですが、心血管系疾患については従来言われていたほどの差にはなりませんでした。これは、対象者が比較的高齢だったからというのが一つの理由ですが、年齢が上がると、メタボリック症候群のリスクも弱まっていくという推測も成り立つと著者らは述べています。また、メタボリック症候群は、診断に多くの検査データを組み合わせたものを用いるわけですが、糖尿病の発症リスクとして相関が強かったのは、年齢、家族歴、人種、活動性、食習慣などであり、わざわざ血液をとらなくても予測が可能ということも述べています。高齢者(といっても、ここでは60歳以上ですが、)ではメタボリック症候群について少し考え方を変えた方がよいのかもしれません。

ただ、日本の診断基準と欧米の診断基準は異なりますから、日本人で日本の基準で同じような調査を行えば、新しいことがわかるかもしれません。それはまさに今年始まった特定健診の結果を集積することによって得られるデータといえるでしょう。また、日本の診断基準で日本人のメタボリック症候群が、実際どの程度のリスクとなっているかも欧米との比較で是非知りたいところです。この特定健診が今後の医療に役立つデータを提供してくれることを期待しています。


<参考>

この論文でのメタボリック症候群の診断基準に用いられる数値(検査値の単位が日本と異なるため、比較しやすいように日本の単位に換算しています)

BMIまたは腹囲 中性脂肪 HDLコレステロール 空腹時血糖 血圧
30以上または102cm以上 147.9以上 男性40.2以下、女性49.9以下 109.8以上 130/85以上

日本のメタボリック症候群の診断基準に用いられる数値

腹囲 中性脂肪 HDLコレステロール 空腹時血糖 血圧
男性85cm以上、女性90cm以上 150以上 40以下 110以上 130/85以上

ここからは余談となりますが、前述したように、このような欧米の疫学調査ではしっかりとしたインフォームドコンサントを書面でとった上で、個人のデータをしっかり管理し、将来に役立つ結果を出しています。日本の特定健診の場合はそれは行っていません(ある限られた地域では行っているのかもしれませんが、少なくとも全体では行っていません)ので、疫学調査として学術的に発表するとしたら、不備があるといわざるを得ません。疫学調査として行えば、十分国際的な評価に値する内容だけに、そのような不備があるのは実にもったいないことだと思います。国を挙げての健康疫学調査として行えばよかったのではないかと思います。さらに、メディアもなぜかあまり取り上げませんが、この特定健診については、受診率が低い自治体には、国からの補助金がカットされ、結果として、保険料が上がるという決まり(罰則)があります。それも、後期高齢者のための助成金がカットされて、後期高齢者の医療を支えるために、全員の保険料が上がるのです。国としては、メタボを放っておくと医療費がかかるのだから、皆さん真剣に考えて下さい、というのが建前上の言い分かもしれませんが、まるで、健診の受診率が低かったことの連帯責任として、親を(後期高齢者を)人質にとられて、増税される(保険料が上がる)という仕打ちを国から受けるというようなものです。このような健診では、学術的視点からは「もったいない」といわれるでしょうし、道義的視点からは「非人道的である」といわれてしまうでしょう。将来、この特定健診が、国際的な批判の対象となり、今まで医療レべルは高いと評されてきた日本の科学レベルとモラルを疑われ、日本の厚生行政の歴史に汚点を残すことになりはしないかと私は懸念しています。

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